あるがまま… サッカー・Newsまとめ

                           

高校サッカー選手権


(出典 the-ans.jp)
高校サッカーにおけるロングスローは、世界のサッカーを変える日が来るのか

去年も話題になったし、案の定、今年もネット上では賛否両論が飛び交った。

高校サッカーにおける、ロングスロー問題である。

「ルールに則っている以上、何が問題なのか」と賛成派が言えば、「あんなことをやっていたら世界に通用しない」と否定派が反論する。ま、それぞれにはそれぞれの言い分があり、それをぶつけあうのもスポーツの楽しみの一つ、と外野から楽しませてもらっている。

ただ、昔だったら、自分はゴリゴリの否定派だっただろうな、とも思う。

日本国内、それも高校生年代であればかなり有効なロングスローも、一歩海の外に足を踏み出せばまるで通用しない可能性が高い。ならば、やるべきではないし、実際、W杯やヨーロッパのトップリーグを見ても、ロングスローに頼っているところはまず見当たらない。一時流行の兆しを見せたハンドスプリング・スローにしても、結局は姿を消していった。よって、反対。大反対。間違いなく、そうなっていた。

いまは、ちょっと違う。

自分がチームを指導する立場だとしたら、たぶん、やらない。やらせない。安易な攻撃パターンに頼ってしまい、若い世代ならではの独創性や創造性をスポイルしたくない、と考えるからだ。

では、相手がやってきたらどうするか。

昔だったら、きっと罵っていた。あんなことしやがって。あれで勝って嬉しいのかよ。まず間違いなく陰で毒づいていた。

いまなら、選手たちにこう言うかな。「これを凌げないようじゃ、世界で戦うなんておぼつかないぞ」

確かに、ロングスローを通常兵器として使う世界の一流どころはまずいない。だが、苦境に立たされた際、パワープレーを仕掛けてこないチームもほとんどない。

ロングスローとは、すなわちパワープレー。それも、相当に正確なパワープレー。

だったら、日本の高校生が攻撃兵器にして使用しても世界に通用しないかもしれないが、防御手段を学ぶことは決してマイナスではない。むしろ、下手をすればW杯以上に1敗が大きな意味を持つ高校サッカーにおいて、容赦ないパワープレーにさらされることは極めて意味のある経験になる。そう考える。

若年層を指導する上で、常に上のレベルのことを考えるのは素晴らしい。「こんなサッカーでは世界に通用しない」という発想自体は、日本サッカー全体が持ち続けていく必要がある。だが、自分自身を鑑みてみると、この発想には一つ、大きな欠点があったことに気付く。

世界のサッカーが、すべて素晴らしいもの、すべて理詰めであるという思い込みである。

この思い込みが真実なのであれば、高校サッカーにおけるロングスローはナンセンスでしかない。自分たちの攻撃兵器にもならないし、守備の方法を学ぶ必要もない。

残念ながら、現実は違う。

カタールW杯で日本と対戦したドイツは、最後の最後、インスイングのCKを蹴ってきた。あれは、明らかに日本のGK権田がハイボールの処理に不安があると見たがゆえのキックだったとわたしは思う。根底にある発想は、ロングスローとまったく同じである。
                
世界が必ずしも美しいものばかりでない以上、日本国内を美で統一する必要はない。世界に理不尽な力があるのであれば、日本国内にもあっていい。はっきり言えば、世界を目指す指導をする学校がある一方で、そんなものは目指さない、ただ勝てればいい、と考える学校があってもいい。

というか、あった方がいい。その方が、よりストリート・サッカーに近い。最近では、そう考えるようにもなった。

いつかはセレソンに入って世界で活躍する、と夢見る少年がいる一方で、将来のことなど一切考えず、ただ目の前の勝利に固執する少年がいる。いろんな年齢、いろんな人種、いろんな哲学がごっちゃまぜになって路上で行なわれていたのがブラジルのストリート・サッカーであり、ブラジルの強さの源だった。先のことなど考えない選手のラフなプレーと対峙することで、先のことを考える選手の才能も磨かれていった。

すでに日本には、徹底して将来のことを考えた指導がなされるJリーグのユースチームがある。言ってみれば、こちらは輝かしい才能の集まり。だったら、ある意味玉石混淆とも言える高校サッカーでは、必ずしもすべてのチームが世界のことを考える必要はない。

というわけで、ロングスローはロングスローで面白いじゃないか、と考えるようになった最近のわたしである。

ただ、いまのままでは物足りない。

なぜ世界のトップシーンではロングスローが普及しないのか。最大の理由は「通用しないから」ではなく、「可能性を追求する動きがなかったから」ではないかとわたしは思う。ならば、ここは発想を変えて、「世界でやってないから自分たちもやらない」ではなく、「世界でやってないから自分たちがやる」と考えてみるのも面白い。

実際、去年の選手権では、高山学園が「トルメンタ」なる、完全オリジナルなセットプレーを開発し、その規模はともあれ、確実に世界中のサッカーマニアの驚きを誘ったことがあった。ならば、トルメンタと組み合わせるもよし、新たなオリジナルを考えるもよしで、日本ならではのロングスロー・スタイルを開発してみてはどうだろうか。単なるパワープレーを超えた、見る者に驚きを与えるようなユニークなロングスローからの攻撃は編み出せないだろうか。

これはもう、日本の高校生にしかできない気がする。

1つの試合に生活がかかったプロの世界では、よほどの天才的、もしくは狂信的な指導者が出現しない限り、「誰もやったことのないことをやってみる」という発想は出てこない。一方で、プロほどには勝敗が死活問題ではないヨーロッパや南米のアマチュアでは、ロングスローを使ってまで勝とうという発想自体がない。

つまり、日本の高校ほどにはロングスローを成熟させる土壌がない。

そもそも、創成期のサッカーにおいては、スローインは片手で投げることが許されていた。それが禁じられたのは「飛びすぎるから」であり、もし世界中でロングスローが流行するようなことがあれば、FIFAが何らかのルール変更で対処を図ることは十分に考えられる。

反面、「サッカーは点が入らなすぎる」との声を意識してか、かつてFIFAはすべてのスローインをキックで行なわせようとしたこともあった。いわゆる「キックイン」である。おそらくは、「あまりにサッカーが大味になってしまう」との声に屈したのか、FIFAは早々にこのアイディアを引っ込めたが、今後、再び同様の動きが出てこないとも限らない。

いずれにせよ、長いボールを正確に放り込むという行為は、よくも悪くも、サッカーにおいて極めて効果的、もしくは劇薬だと考えられてきた。ならば、ルールで禁止されていないいまは、日本が世界のトップランナーになれるチャンスでもある。

日本の高校生が世界のサッカーを変える。そんなことが起きれば、実に痛快ではないか。


(出典:ALPEN GROUP MAGAZINE)


(出典 img.news.goo.ne.jp)
高校サッカーのロングスローには否定的なのは思い込み?
「どこの高校もロングスローばっかやってるな」って私もこの記事読むまで否定的だった。
ロングスローを勝つためのひとつの武器と考えるならば…ちょっとおもしろいかなと。世界に通用する武器にするためにはだいぶ工夫が必要だろうけど。


(出典 img.news.goo.ne.jp)

「何がなんでもプロに」 岡山学芸館2年生GK平塚仁が選手権初優勝で膨らませる野望


平塚の好守なくして岡山県勢初の全国制覇はあり得なかった

 2年生守護神がこの試合でも見せた。1月9日に行われた岡山学芸館(岡山)と東山(京都)の第101回全国高校サッカー選手権大会決勝戦で、これまで度重なるビッグセーブとPKストップを見せてきた岡山学芸館GK平塚仁が、攻撃力が売りの東山の前に立ちはだかった。
 立ち上がりから彼の空中戦の強さが目立った。ロングスローやコーナーキック(CK)をいとも簡単にキャッチして守備を安定させる。前半35分には東山MF真田蓮司の精度の高い右CKに対し、すぐにコースを読み取った平塚は、カーブがかかって沈んでくる難しいボールにもかかわらず、両手をスッと伸ばしてガッチリとキャッチした。

 さらに後半4分には左からのロングスローをニアで味方がヘッドを捉えきれず、結果的にすらすような形になった難しいボールを冷静にキャッチ。そのまま「ずっと参考にして武器として磨いてきた」と語るイングランド1部マンチェスター・シティのブラジル代表GKエデルソンのような精度の底弾道のキックを味方に送り込み、チャンスを作り出した。

 また、後半28分には真田の左サイドからの折り返しを、中央でセレッソ大阪加入内定のMF阪田澪哉にドンピシャヘッドで合わされるが、ライナーのボールに対して瞬時に反応。指先にわずかに触れたことでコースが微妙に変化し、ボールはクロスバーを叩いて、大きく前に弾かれていった。同45分には相手ロングスローをトスティングからキャッチをするなど、GKとしての能力をフルに発揮。止めることは相当難易度の高い真田のスーパーミドルから1失点こそ喫したが、それ以外のシュート、クロスは完璧に防ぎ切った。岡山県勢初の全国制覇は彼なくして成し得なかった。

「選手権という多くの観客が集まって、メディアからも注目されるこの大会で活躍して名をあげたいと思っていた。小さい時から選手権にずっと憧れていて、『ここに出て活躍していろんな人に知られたい』と思っていた」

「ステップアップの大会になった」と手応え

 平塚にとって選手権は絶対に出なければいけない憧れの大会だった。中学3年生の時には山梨学院の熊倉匠(現・立正大)がビッグセーブを連発し、チームを2度目の選手権優勝に導く姿を見て、さらに憧れは深まった。

 そして、その悲願をついに達成した。

「今日は阪田選手、準決勝では福田師王選手、大迫塁選手というプロに行く選手と対決できましたし、ステップアップの大会になりました」

 平塚はまだ2年生。来年は選手権優勝に導いた守護神としてさらに注目が集まることは必至だ。

「来年はかなりマークされるので、頑張らないといけないし、大学経由でもいいので、何がなんでもプロになりたいです」

 自らの立てた目標に対してひたすら前進をする守護神。「いい思い出ができました」と語る国立のピッチに1年後立つことを彼は信じている。その時はプロ内定の看板を提げて。

(出典:FOOTBALL ZONE)


(出典 www.nikkansports.com)
【コラム】金子達仁
久々の“キャッチするGK”岡山学芸館・平塚 今後に期待

 昔の選手は凄かった、と年寄りは言う。だが、サッカーは常に進化している。かつての天才が、現代サッカーでも通用するとは限らない。そう信じていたわたしは、ゆえに、ペレを軽視していた。所詮(しょせん)はクライフ以前の王様。74年のW杯では、後継者たるリベリーノがオランダのトータルフットボールに完封された。ペレがいても、きっと結果は同じ。いわば旧世代の伝説。マラドーナにかなうわけがない。ずっと、そう思っていた。

 考えが覆ったのは、社会人になってからだった。親しくさせてもらっていたベテランのカメラマン氏に言われた。

 「ま、ペレ対マズルケビッチを見てなけりゃ、そう思うのも無理はないわな」

 マズルケビッチ?誰?聞けば、70年大会に出場したウルグアイのGKだという。この選手をかわしたペレのプレーが、とてつもなく天才的なのだという。

 まだYouTubeなどなかった時代である。わたしはありとあらゆるツテを使って70年大会の映像をかき集め、そして……度肝を抜かれた。

 なるほど、凄い。ある意味、マラドーナの5人抜きより衝撃的(特に結末が)。ペレに対する思いは、激変した。

 ありがたいことに、いまではYouTubeで「ペレ、マズルケビッチ」と入力するだけで、伝説のプレーを見ることができる。ご興味のある方は、ぜひ。

 さて、前日もいつものようにYouTubeを眺めていると、「本田圭佑が無回転FKをしなくなった理由」という動画が目に留まった。本人曰(いわ)く「足に凄く負担がかかる」というのが、その理由だという。

 足に負担がかかる、というのはそうかもしれない。普通のキックの動作が、腰を支点にした、漢字で言うと「人」の動きだとしたら、ボールを強く押し出さなければいけない無回転のキックは「几」に近くなる。技術的にも肉体的にも、簡単に蹴れるキックではない。

 ただ、どれほど負担がかかろうとも、無回転FKが得点を生む金の卵である限り、それを封印するには少し理由が弱い。わたしは、ボールの違いも理由としては大きいはずだとみる。

 彼が無回転FKで世界を驚かせたW杯南アフリカ大会。大会の公式使用球は「ジャブラニ」だった。ズールー語で「祝い」という意味があるこのボール、FKのキッカーにとっては「しめす偏」だったかもしれないが、GKにとっては最悪の「くち偏」だった。つまり、「祝」ではなく「呪」だった。

 このボールが使用されるようになるまで、世界中のGKにとって、最高のプレーとはボールをキャッチすることだった。シュートもそう、ハイクロスもそう。空中に身体を躍らせ、全身が伸びた状態でボールを掴(つか)み、柔らかく着地する――。

 ところが、予測不可能な動きを見せるボールが導入されたことで、GKの常識は一変した。クリーンキャッチは、目指すべきプレーどころか、避けるべきプレーになった。捕るな。弾(はじ)け。それが常識になった。

 だから、今年の高校サッカーは嬉(うれ)しい驚きだった。

 岡山学芸館の平塚仁。久々に現れた、キャッチング能力で魅せてくれるGK。ある種時代に逆行するようなスタイルを容認した指導者も素晴らしい。

 すでにジャブラニは過去のボールとなり、今後は再び、GKの捕球能力が問われる時代が来る可能性もある。そうなれば、平塚のスタイルは、世界最先端だということになる。まだ2年生、今後の成長にも期待したい。

(金子達仁=スポーツライター)

(出典:スポニチアネックス Sponichi Annex)           

【動画】岡山学芸館 平塚仁 プレー集

(Youtube)

個人的にはキックの精度は度肝を抜かれた。守備だけでなく、これだけ精度の高いキックを蹴れるGKをプロがほっとかないでしょ!


(出典 static.tokyo-np.co.jp)

PKが「新しい景色」につながる鍵に 決定率100%で大会V岡山学芸館から感じた重要性


 全国高校サッカー選手権は9日、岡山学芸館の初優勝で幕を閉じた。岡山学芸館、準優勝の東山(京都)はともに、2度のPK戦を制して決勝に進出してきた。

 決勝前、全国大会の経験が豊富なある指導者と話す機会があった。話はPKに及んだ。その指導者は「岡山学芸館の選手のPKはすごかった。右上、左上とGKが取れない場所に思い切り蹴り込んでいた。あの姿を見て、自分の今後の指導について考えさせられた」と話した。
                
 記者はJリーグを担当していて、プロの選手から「延長戦まで戦って、PKで上を狙うと、ふかしそう(=枠の上に越えそう)で怖い。上に蹴ることができなかった」と聞いたことがあった。プロですら、疲労がたまった状態で上を狙うのは難しいことなんだと感じたことを覚えている。

 その指導者も、PK戦で枠外のリスクの大きい上を狙わせることは、これまでしてこなかったそうだ。

 だが、昨年のFIFAワールドカップ(W杯)カタール大会と今回の高校サッカー選手権を見て、考えを改めたという。「トーナメントを勝ち上がるにはPKにも勝たないといけない。ワールドカップでも、PKにもつれこんだ試合がたくさんあった。将来の日本サッカーを考えたら、高校年代の段階からGKが取れない右上、左上を狙って蹴らせないといけない。リスクがあるなんていっていられない。高校年代は失敗してもいい。これからは、右上、左上に蹴る練習をして狙わせていく」と話した。

 練習試合で訪れた千葉の強豪・流通経大柏には、PK練習の秘密兵器があったそうだ。左上、右上、左下、右下の4カ所に穴があいたゴールマウスにかけるカバーだ。その指導者は「うちも購入しようと思っています」と話していた。


 岡山学芸館には、昨年4月から高原良明監督(43)の恩師でもある平清孝氏(68)が昨年4月から岡山学芸館のゼネラルアドバイザー(GA)に就任した。東海大五(現東海大福岡)を14度全国に導き、国立での戦いを経験している名将だ。平GAは「トーナメントには必ずPKがある。右上、左上はGKは取れない。GKの腰の部分は最も反応しやすいから絶対に蹴るな、目をつぶってでもそこ(四隅)に入るぐらい練習をしろ」と高原監督と選手にPKの重要性を説いてきた。高原監督は平GAのアドバイス通り、厳しいコースを狙う練習を求めてきた。

 岡山学芸館は、3回戦の国学院久我山(東京A)、準決勝の神村学園(鹿島)戦でPKを制している。キッカーは2戦とも同じ選手で同じ順番。1回も外すことがなく、決定率は100%だった。

 平GAは「2回目、3回目のPKだろうが、同じコースを蹴っても、厳しいところは取れないよと言ってきました。度胸ありますよ」と目を細めた。目をつぶってでも厳しいコースを決めきるまで練習を積んできたからこそ、疲労がたまる連戦の中、大舞台でも決めきった。

 PKは決して、運ではないのだ。

 日本代表は、W杯カタール大会でクロアチアにPKで敗れ、8強の「新しい景色」を見ることができなかった。高校だろうが、W杯だろうが、トーナメントにはPKはつきものだ。高校年代から、各校がPKを制するための練習を積んでいけば、将来の日本代表のW杯につながるはず。そう強く感じた今大会だった。

(出典:日刊スポーツ)


(出典 www.nikkansports.com)

右上や左上に蹴ると外すリスクが大きいというのは思い込み!GKが絶対取れないコースに蹴る!外さないためには練習あるのみ!そして、本番でそこに蹴る自信と勇気が勝敗を分ける!

■関連リンク


(出典 the-ans.jp)

本田圭佑の高校サッカー指導者への〝苦言〟 V校・岡山学芸館GAが見解「彼は影響力が大きいから…」


 あのダメ出し発言の反応は? 全国高校サッカー選手権決勝(国立)が9日に行われ、岡山学芸館(岡山)が東山(京都)を3―1で破り、岡山県勢として初優勝を果たした。快挙の一方で、大会中にはMF本田圭佑(36)が高校サッカーの指導者へ向けて厳しい言葉を発して話題に。当事者は、どう受け止めているのか。名伯楽として知られる岡山学芸館の平清孝ゼネラルアドバイザー(GA=68)を直撃した。

 今大会は強豪が次々と姿を消す中で、伏兵の岡山学芸館が初優勝。ツイッターでは同校名が日本のトレンドで1位となり、この日の入場者数も前年度を大きく上回る5万0868人と盛り上がりを見せた。

 そうした中で大きな注目を集めたのが本田だ。準決勝が行われた7日に千葉県内で取材に応じた際、選手権に関して持論を展開。「個で見ると、なかなかいい選手いる。ただ偉そうなことを言わせてもらうと、戦術面はちょっとひどいなと思う部分は多かった。これを話し始めるとライセンス問題、指導者の問題に行き着く」と高校サッカー界の指導者に〝ダメ出し〟。本田流のストレートな物言いは波紋を呼んだ。

 そんな本田発言に対し、東海大福岡(旧・東海大五)を強豪校に育て上げるなど高校サッカー界屈指の名伯楽として知られる平氏が〝反論〟。「自分の持ち場で勝たせたい、勝ちたいというのが高体連サッカー。監督のアイデアでチームづくりをしている」とした上でこう続ける。

「僕は高校サッカー(の未来)は危なくないと思う。まだまだ代表だって漢字(高校名)の出身者が5~6名いるし、前回のW杯は半分以上。そういった意味では、高校の指導者というのは良い指導をしている」

 現在も高体連からトップレベルの選手が多く輩出されており、指導のレベルは決して低くない。この日、優勝した高原良明監督(43)のように有望な若手指導者も育っている。平氏は「必死に勝負をしているんだから、高校の指導者も。それはそれで認めてあげないと」と主張した。

 さらに「本田圭佑が高体連出身で代表になって、海外に行っていろんなサッカーを経験して、じゃあ今、日本の高校サッカーに何を求めたらいいのかなどディスカッションをできれば、高校の指導者も方向性が少しずつ見えてくる」。メディアを通じた発信だけでなく、現場の指導者と意見交換するよう求めた。

 また「彼は影響力が大きいからね。彼がぽっと言っちゃうと、ネットで高校サッカー、指導者を全否定しているようなね。ちょっとあれは怖い。『なんだ、おれたち一生懸命やっているのに』と思っちゃうかもしれない」と発信の仕方にも注意するよう、たしなめた。

 日本サッカー界の発展を願う思いは同じだけに、今後も活発な議論の継続が必要だ。

(出典:東スポWEB)


(出典 oki.ismcdn.jp)

率直な意見で問題提起したのだろうが、懸命にやっている指導者は傷つくだろうな。本田圭佑も高体連出身なだけに、海外での経験を何かしらの形で還元してもらいたい。最後の一文にあるように、「日本サッカー界の発展を願う思いは同じ」だからね。


(出典 static.sanyonews.jp)

「スター選手はいない」岡山学芸館が高校サッカーの頂点に立った本当の理由。堅守が武器、は表向きの姿


ともに初優勝を目指す顔合わせとなった今年度の全国高校サッカー選手権大会決勝は、岡山学芸館(岡山県)が東山(京都府)を3-1で下し、初の日本一の座に就いた。

 前半25分に相手のオウンゴールで先制した岡山学芸館は、前半44分に一度は追いつかれるも、後半52分にMF木村匡吾のゴールで勝ち越し。その後は東山の反撃を粘り強い守備でしのぐと、後半85分にも木村が追加点を決めてダメを押した。

「選手たちが初戦から一戦一戦成長し、集中をきらさずに持っている力を発揮してくれた」

 チームを率いる高原良明監督がそんな言葉で称えた岡山学芸館の初優勝は、同時に、岡山県勢として初の全国制覇でもあった。

 とはいえ、101回を数える選手権の歴史に新たな1ページを記した優勝校も、高原監督の言葉を借りれば、「スター選手はいない。(年代別日本)代表経験がある選手もいないし、ジュニアユースのとき(中学時代)には2、3番手だった選手が多い」。

 有り体に言えば、小粒なチームである。

 だが、裏を返すと、そんなチームが全国の頂点に立ったからこその意味は大きいとも言える。

「チームがひとつになってやれば、強敵でも倒せると証明してくれた」とうれしそうに語る高原監督が、「(岡山県内の)少年団にも、岡山からでも日本一を獲れると夢を与えられていたら最高」と話すとおりだ。

 今大会の岡山学芸館をひと言で表現するなら、"高校サッカーらしい好チーム"ということになるだろうか。

 突出した選手はいないが、各選手の技術レベルは総じて高く、誰もがハードワークをいとわない。そんなチームが勝利を重ねるごとに自信をつけ、たくましさを増し、ついには頂点にたどり着いた。

なかでも、初優勝までの道のりにおいて目を引いたのは、得点力の高さだ。

「相手にボールを持たれて自分たちが守備をする時間が多い試合がずっと続いて、体力的に苦しいところはあった」

 大会優秀選手にも選ばれたMF岡本温叶がそう話していたように、今大会の岡山学芸館は、必ずしも主導権を握る戦いを続けてきたわけではない。

「自分たちとしてはボールをつなぎたい。それが理想」(岡本)ではあったが、大会全体を振り返れば、守備に追われる時間が短くなかった。

 だが、それでも「『焦れることなく、ハードワークして細部にこだわれ』ということは常に監督から言われてきた。それを体現できたんじゃないかと思う」と岡本。愚直なチームらしく、岡本をはじめとする多くの選手が、優勝の要因を「粘り強さ」だと口をそろえた。

 確かに決勝の東山戦を見ても、相手にボールを保持される時間が長かったとはいえ、その長さに比してシュートを枠に飛ばされる機会は少なかった。

 センターバックを務めるキャプテン、DF井上斗嵩が誇らしげに語る。

「誰かがミスしてもカバーする。"ハエのように(ボールに)群がる"ことを徹底してきた。『(自分の)マークを捨ててもシュートブロックに行け』と言われてきたが、今日はそれができた」

 しかしながら、岡山学芸館に粘り強い守備が備わっていたのは確かだとしても、それだけでは説明がつかない強さ、すなわち、得点力の高さがあったのもまた事実である。

 岡山学芸館が準々決勝以降の3試合で挙げた得点は、合計10点。ボールを持たれる時間が長かった準決勝の神村学園戦、決勝の東山戦でも、それぞれ3点ずつを奪っている。決して最少得点を守りきるような戦い方はしていないのだ。

 劣勢のなかで訪れる、決して長くはないマイボールの時間を生かしてビッグチャンスを作り出し、しかも、それを確実にモノにする。その一連の流れで見せる質の高さは、今大会でも群を抜いていた。

 高原監督も絶賛した、決勝での2点目のゴールなどはその典型だろう。

 右サイドからの攻撃で一度相手を押し込んだうえで、ボランチがセカンドボールを回収。今度は左サイドへとボールを展開し、サイドハーフを追い越してきたサイドバックがクロスを送って、最後は複数の選手がゴール前に入ってきてヘディングで仕留める。

 前線の選手が少ない人数で時間をかけずに攻めきってしまうカウンターなどではなく、人数をかけて敵陣に攻め入り、左右に揺さぶることで奪いとったゴールは、"ワンチャンスを生かした"と表現するにはあまりに分厚い攻撃から生まれたものだった。

チームを優勝に導く2ゴールを決めた木村は、「(守っていても)チャンスはくると思っていた」と言い、こう語る。

「絶対にチャンスはくると信じて、粘り強く戦おうと思っていた。そのチャンスを決めきる気持ちを強く持っているので、それが結果としてよかったんだと思う」

 一見、守備に追われているようでいて、ここぞという瞬間を見逃すことなく、チーム全体で一気に攻撃へと軸足を移す。その的確な判断の共有と、そこでのプレーの質の高さこそが、岡山学芸館の最大の勝因だったと言っていい。

 持ち味である「粘り強さ」は、ただただ相手の攻撃に耐え忍ぶものではなく、試合を重ねるごとに、自信と余裕をともなった「勝負強さ」へと変わっていった。

 堅守が武器、は表向きの姿。その裏に秘められた高い攻撃力にこそ、岡山県勢初優勝の理由があった。


浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
(出典:webスポルティーバ)


(出典 static.tokyo-np.co.jp)

なぜJユース出身者もJ内定者もゼロの”無印集団”岡山学芸館が初の全国制覇を成し遂げたのか?


 第101回全国高校サッカー選手権の決勝が9日に国立競技場で行われ、岡山学芸館(岡山)が3-1で東山(京都)を撃破し、岡山県勢初の全国制覇を達成した。前半終了間際に追いつかれた岡山学芸館だったが、後半7分と40分にMF木村匡吾(3年)が連続ゴールを決めて東山を突き放した。決勝戦に出場した13人の選手で、Jクラブのジュニアユース出身者はゼロ。年代別の日本代表も卒業後のプロ内定者もいない“無印軍団”は、なぜ全国3883校の頂点に立てたのか?

平清孝ゼネラルアドバイザーと長瀬亮昌トレーナーの指導で変貌

 めったに見られない光景だった。悲願の選手権制覇を告げる主審の笛が鳴り響いた直後。岡山学芸館の選手たちが次々に国立競技場のピッチに仰向けになった。喜びを爆発させる前に体中の力が抜けた。精も根も尽き果てるまで走り回った証だった。

 倒れ込んだ一人、キャプテンのDF井上斗嵩(つかさ、3年)は両手で顔を覆って号泣した。脳裏には高校3年間の喜怒哀楽が駆けめぐっていた。

「この最高のチームで、みんなで笑って終えることができたので。試合が終わった瞬間に心がホッとしたというか、そう思ったら泣き崩れてしまいました」

 昨夏を境に岡山学芸館は大きな変貌を遂げた。

 プリンスリーグ中国の前半戦を3勝6分けと勝ち切れないままターン。インターハイでは2年連続でベスト8へ進みながら準々決勝で帝京(東京)に敗れたチームへ、昨春に就任したばかりの平清孝ゼネラルアドバイザー(68)が諭すように語りかけた。

「特にプリンスリーグで引き分けが多かったので、いまは巧さだけで強さがないと。巧いチームは途中で負けるけど、巧くて強いチームは勝ち残るんだよ、と」

 監督および総監督として東海大福岡(旧・東海大五)を45年間にわたって指導。岡山学芸館を率いる高原良明監督(43)も教え子の一人である平アドバイザーは、目の前にいる選手たちを否定したわけではなかった。むしろ変わりつつあると前を向かせた。

 おりしも自身と同時期に招へいされた、トレーナーの長瀬亮昌氏による指導の効果が出始めていた。週4回のフィジカルトレーニングと、一日5食がノルマとして課された増量作戦で筋力が飛躍的にアップ。決勝でベンチ入りした20人の平均身長は約173cmだったが、平アドバイザーは「山椒は小粒でぴりりと辛い、ということです」と目を細めた。

「みんな胸筋がすごくなったし、筋力のアップが持久力にもつながっていた。小さくても当たり負けしなくなったし、自分たちは強い、という気持ちのプラスアルファですごく走れるようになった。逆に相手は倒されるたびに体力を消耗する。これは夏過ぎから一気にいく、と。大人もそうですけど、特に高校生は褒めたら顔色が変わってきますからね」

 岡山学芸館の創部は1988年。東海大を卒業した高原氏が2005年の岡山国体へ向けた強化選手として県に招かれ、岡山学芸館に就職したのが2003年だった。地域リーグ時代のファジアーノ岡山に所属しながら、コーチとして指導を始めた当時をこう振り返る。

「国立の舞台に立つのも夢なら、日本一になるなんて夢のまた夢でした」

 岡山国体後に保健体育の教員職に専念し、2008年には監督に就任した。選手権の舞台に初めて立ったのは2016年度大会。以来、今大会で5度目の出場を果たし、作陽と玉野光南の二強時代が続いていた岡山県の勢力争いに新たなページを加えた。

 プリンスリーグ中国にも2016年から定着。2019年には初優勝を果たし、選手寮や人工芝グラウンドなどのハード面も整えられた岡山学芸館は、高原監督の情熱的な指導とも相まって、全国を目指す中学生たちが進学を希望する高校のひとつになった。

 たとえば今年度の部員数は135人。最上級生から順に38人、46人、51人を数える部員数は、門を叩く中学生が確実に増えている証となる。しかし、全国の舞台でなかなか壁を越えられない。選手権の最高位は2度目の出場だった2018年度大会のベスト16。前回大会も2回戦で高川学園(山口)に敗れた。このとき、高原監督は改革を決心した。

 自身の指導には、メンタル面とフィジカル面で足りない部分があったと反省した。その上で東海大福岡を退職する恩師の平氏を迎えて前者の、アスレティックトレーナーとして関西を中心に幅広く活躍していた長瀬氏を迎えて後者の改革を託した。

 決勝戦のヒーロー、木村の言葉が心身両面の変化を物語る。

「平さんには『もっと賢くなれ』とか『頭が堅い』とよく言われました。いまではピッチを幅広く見るように心がけていますし、守備面では褒めてくれます」

 ボランチながら果敢に最前線へ飛び出し、後半7分に先発陣で最小兵となる身長165cm体重63kgの体で目いっぱいジャンプ。左サイドからのクロスに頭を合わせて勝ち越し弾を奪えば、同40分には右サイドからのロングスローがファーサイドへ流れてきたところへ右足を一閃。東山の反撃ムードに水を差す、勝利を決定づけるダメ押しの3点目を決めた。

 衰え知らずのスタミナの源泉を、木村は笑顔で振り返った。

「セカンドボールに対する出足の速さなどの面で成果が出ているというか、瞬発力が少し上がったのかなと思っています。最初のころはつらかったけど、いま思えばフィジカルトレーニングをやっていて本当によかった、というのがありますね」

 巧さと強さが融合された結果として、数的優位を作り出して相手ボールを奪うや素早く縦へ運び、FW今井拓人(3年)を起点に多彩なコンビネーションで攻めるスタイルがよりスケールを増した。それでも高原監督は、試合後の会見でこんな言葉を紡いだ。

「それぞれのチームに優秀な選手がいるなかで、ウチには(年代別の)日本代表経験がある選手もいないですし、中学生年代のジュニアユースのチームでは2番手、3番手ぐらいだった子も多い。そのなかでもサッカーは個人ではなくチームのスポーツなので、ひとつになって戦えばどんな強敵でも倒せると証明してくれたと思っています」

 年代別の日本代表に招集された選手だけではない。卒業後のJクラブ入りが内定している選手もいなければ、途中交代を含めて決勝のピッチに立った計13人のうち、中学生時代にJクラブのジュニアユースチームでプレーした選手もいない。

 対照的に東山の「10番」を背負うMF阪田澪哉(れいや、3年)は大会後のセレッソ大阪入りが内定。先発陣にはJクラブのジュニアユース出身者7人が名を連ねた。準決勝でPK戦の末に退けた神村学園(鹿児島)も、ドイツのボルシアMG入りするFW福田師王(しおう、3年)とセレッソ入りするMF大迫塁(3年)の両エースを擁していた。

 決勝前のミーティング。選手たちの反骨心を煽るように、高原監督は岡山学芸館と東山の“違い”に言及した。ただ、一戦ごとに自信を膨らませ、勢いに変えてきた選手たちのモチベーションはすでにマックスの状態にあった。代表歴を含めた肩書きや卒業後の進路はあくまでもピッチ外のもの。自分たちのサッカーを貫けば勝てると誰もが信じて疑わなかった。

 通算3ゴールで福田らと並んで大会得点王になった今井が言う。

「応援してくれている3年生たちと会うたびにみんなの声がかすれていた。それだけでも本当にうるっときましたし、実際の試合でもつらいときや流れが悪いとき、自分のプレーがよくないときにはスタンドを見て、あいつらの本気の声出しに感謝していました」

 135人の部員だけでなく、岡山学芸館に関わってきたすべての人々の思いが結実した岡山県勢としての悲願の全国制覇。歓喜の輪はさまざまな広がりを見せていく。

 連覇への挑戦権を得た第102回大会へ。後半29分に放たれた阪田のヘディングシュートにとっさに反応して右手中指をかすらせ、バーに弾き返させた守護神・平塚仁(2年)は、最上級生になる自分が新チームの中心になって帰ってくると試合後に誓った。

「日本一の景色をもう一度見るために、自分が引っ張っていきたい」

 木村と今井は駒沢大へ、準決勝のヒーロー岡本温叶は中央大へ、ボランチの山田蒼は福岡大へ、そして井上は日体大へ進学。日本一の肩書きを背負い、次のステージでさらに心技体を磨きながら、大学を経由して4年後にJリーガーになる夢を追い求めていく。

 そして、県内の優秀な中学生たちが県外の強豪校へ進んできたこれまでの流れにも影響を与えるだろう。岡本や今井と「岡山学芸館を日本一にしよう」と誓い合い、倉敷市のハジャスFCからそろって門を叩いた井上が優勝の価値に声を弾ませた。

「ずっと育ってきた岡山の歴史を変えられた。自分たちの試合で元気や感動を伝えられたら本当に嬉しい。岡山のサッカーがもっともっと強くなってくれたら」

 開幕前は無印だったチームが一気呵成に頂点へと駆け上がる。岡山学芸館が紡いだドラマは大団円ともに、痛快無比な軌跡と熱戦の余韻を続編への期待に変えながらひとまず幕を閉じた。


(文責・藤江直人/スポーツライター)
(出典:RONSPO)                


(出典 www.nikkansports.com)
チームの持ち味である粘り強さ!そして、攻撃に転じた時の攻め上がりからいろいろな選手が決めきる勝負強さを見せつけての優勝!全員が試合終了までハードワークを厭わずにボールを追っている姿は観てるものを惹き付けた。スター選手がいなくとも、全員サッカーでそんなチームが優勝できる!高校サッカーは素晴らしい…

こちらもおすすめ!

このページのトップヘ